商業主義と文学界

今、文学の観点と言う授業をとっていてレポート書くために本を読んでいるんだけど、明治の文学者って他の文学者を結構批評(批判ではない)してるんだよね。北村透谷とかは尾崎紅葉の作品なんかを批評したり、森鴎外坪内逍遥の没理想の論争なんかあったりして読んでみると意外に面白い。
だけど、現在で批評をするような人はいなくなっている。(明治や昔の文学を批評する人はいるけどね)雑誌なんかに小説や映画の批評家がでてくるけど、褒めはするけれども貶しはしない。貶すと部数が落ちたりするからなのだろうか?確かにどこかの本で読んだが日本は欧米と違って「個」が存在せず、人の噂や評判で決める傾向があるというのは載っていた。確かにそういう面もあるかもしれない。
だからといって批評がなくなるのは残念だと思う。
よい批評家は新たな見方を提供してくれるし、その読んだ本人も映画を見て、そして自分はこう思うとか様々な感想を持つことが出来る。
悪い批評家とかがでてきてよい作品が貶されるという反論もありえようがそれは逆だと思う。批評家が増えれば増えるほど悪い批評家は淘汰されていき市場主義の原理が働く。
今んところ公に作品を批評している人なんて俺の知ってる限り松本人志と井筒監督(質の高さは別にして)ぐらいかな。この人たちは元々「毒を吐く」というのをウリにしている面もあるから許されるのだろう。
こういう人達をもっと増やしてくれれば、読む人の文学の質もあがるだろうし作品ももっと面白く見れるだろうと思う。